アドラー心理学とニーバーの祈り~対人関係の悩み~

潜在意識と青葉神との対話
神との対話(Conversations with God)とこのブログについて

ニール・ドナルド・ウォルシュ(Neale Donald Walsch)氏と神との、驚きに満ちたやり取りを記した「神との対話」シリーズ。

やや難解な部分もあるこの書籍を少しでも分かりやすく解説・解釈できればと思い、このブログを始めました。最後まで(楽しんで)読んで頂ければ幸いです。

この記事は以前書いたもので、神との対話とは無関係ですが一応残しておきます。

心理学者アルフレッド・アドラー

アルフレッド・アドラーは、ユングやフロイトと同時代に活躍した心理学者です。

アドラーの提唱する「アドラー心理学(個人心理学)」では、

「トラウマは存在しない」

「全ての悩みは対人関係の悩みである」

「他者の課題は切り捨てるべき」

などの、斬新な考え方をしています。

 全ての悩みは対人関係の悩みである

もし、あなたが宇宙のなかでただ一人の人間だとしたら、どう感じるでしょうか?

そこには、「個人」という概念すらなく、「孤独」さえ感じないというか、存在しないでしょう。

アドラーは、全ての悩みは「対人関係の悩み」であると喝破しています。

つまり、悩みの原因は誰かと比較すること、即ち、「相対性」に根差したものであるという事だと思います。

劣等感や優越感はどうでしょうか?

宇宙にただ一人であれば、例えば一万円札には何の価値もなくなります。

価値というものは、他者との関係の中でのみ生まれるもの。

もしあなたが劣等感やコンプレックスを感じているとしたら、それは他者を意識し過ぎているのかもしれませんね。

 誰の為に生きるの?

ユダヤ教の教えに、「自分が自分の為に自分の人生を生きていないのであれば、一体誰が自分の為に生きてくれるだろうか」という言葉があるそうです。

アドラー心理学では、他者からの承認を求める事を否定しています。

ずっと他者の希望や思想を満たす為に生きる癖がついてしまうと、誰かに誉められないと満足感が得られなくなってしまいます。

また、他者から罰せられなければ、何をしても問題ないという考えに行きついてしまいます。

この「他者」には、幼少期には「両親」が、成長してからは「先生」や「上司」、「結婚相手の親」などが当てはまります。

誰かの期待に応える為に生きるのではなく、「自分の為に」人生を生きてください。

言う事をよく聞く、長女タイプの「良い子」から脱却しましょう。

そして、他者もまた、あなたの為に生きているのではない事を理解してください。

 その問題は、誰の問題ですか?

例えば、あなたの子供が勉強嫌いで全く勉強してくれない場合。

あなたなら、無理にでも勉強させようとしますか? それとも・・・

「馬を水辺に連れて行く事はできるが、水を飲ませる事はできない」ということわざがあるそうです。

アドラー心理学では、「この問題は誰の問題か」をまず考えます。

そして、他人の問題には立ち入らないのを原則にしています。

子供の問題・課題まで親が背負ってしまうと、逆に子供は自立できなくなってしまいます。

家族と言えども他者なので、思い通りに動いてくれないのが当たり前。

「いつでも助ける用意があるよ」とメッセージを伝えながら、温かく見守ってあげましょう。

 対人関係のゴール

それでは、正常な対人関係の基礎とはどの様な形なのでしょう。

アドラーは、「共同体感覚」が対人関係のゴールだと言っています。

分かりやすく言うと、「何かのコミュニティーに所属し、そこに居ても良いと思える」感覚を持つことだと思います。

例えば学校での友人関係がうまくいかず、学校に行きたくなくなって登校拒否になってしまった子供がいるとします。

自分は学校に行っても、友人から承認されない、存在価値が無いと誤解してしまっています。

その場合の解決方法は、「現在の小さな共同体に留まらずに、より大きな共同体に意識を向ける」ことです。

地域社会やバイト先の同僚、学校の先輩などと話してみることで、自分がこれまで所属していた世界がいかに小さなコミュニティーであり、人間の価値観はもっと多種多様である事に気付くでしょう。

そして、これまでの自分自身を客観的に見る事により、学校の友人との関わり方のヒントも見えてくることでしょう。

アドラーは、この「共同体」には人間だけではなく動植物や無生物まで含み、さらには過去や未来までも含むと言っています。

 トラウマは存在しない

例えば、虐待を受けて育った人がいるとします。

後に、外出すると頭痛がするようになり、引きこもりになってしまいました。

フロイトやユング的な「原因論」では、「虐待のトラウマの影響で、頭痛が起き、引きこもりになった」と考えます。

しかし、アルフレッド・アドラーは原因論を、トラウマの存在を明確に否定しています。

アドラーの提唱する「目的論」では、「虐待を受けた事により、『外出しない』という目的ができ、それを実現する為に頭痛になる」と考えます。

何だかややこしいですが、「虐待を受けた全ての人が引きこもりになる訳ではない。そこには何かしらの選択があったはず」という事だと思います。

つまり、Aという出来事をBと受け取るか、Cと受け取るか。

要は「受け取り方の問題」であり、それは個々人の自由であると。

「目的」と言うより、「受け取り方」や「意味付け」と捉えた方が分かり易いのではないでしょうか。

 これからどうするかを考える

過去にあった辛い思い出―。

誰かを恨み、自分がどんなに辛かったのかを訴える。

カウンセリングの現場で、よくある光景です。

しかし、アドラーは言います。

「悪いあの人」や「かわいそうな私」の話をするのではなく、「これからどうするか」を考えなさいと。

アドラー心理学では、「原因」には着目せず、「目的」に着目します。

先程の例では、引きこもりを目的として選択し続ける限り、その状態は改善しません。

思い切って、その選択を放棄し、「これからどうするか」を考えなさい。

過去は切り捨てて、現在と未来の事を考えなさい。

そう、アドラーは言いたいのだと思います。

 ニーバーの祈り

「ニーバーの祈り」とは、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー氏の著した、祈りの言葉です。

原文は英語ですが、日本語に訳すと以下のようになります。


神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。


変えられない物事。

例えば、生まれた場所や時間、性別、家族、過去の出来事などでしょうか。

この「ニーバーの祈り」は、アルコール依存症や薬物依存症の治療にも使われているそうです。

生まれた境遇や過去の過ちをありのままに受け入れ、「変える事のできるもの」を勇気を持って変えていく―。

私たちは、変えられない物事、特に過去の辛かった出来事や後悔について思い悩む事が多いように思います。

アドラーは、「過去」の存在を完全に否定しています。

在るのはただ、現在の自分自身が持つ、「過去に対する解釈」のみであると。

過去の「出来事」は変わらないが、「意味付け」は変える事ができる―。

考え方を変えた瞬間に、あなたは「新しい過去」を手にすることでしょう。